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Feb 17, 2005

阿部和重「グランド・フィナーレ」

グランド・フィナーレ読み始めてすぐ「なんだこの下手糞な文章は」と文藝春秋をぶん投げようかと思いながらも、中吊り広告の謳い文句につられたこの身が愚か、まあ「インディヴィジュアル・プロジェクション」を買って読まずに放置していたその贖罪、などと嘯きつつ読み進めて行くうちに、選評で高樹のぶ子氏が触れている通り、その特異な文章表現が少女偏愛の異常性を描いたこの作品に合っているなあと、むしろ違和感なく読むことができたのですが。

親権剥奪により会えなくなった娘への溺愛と、他の少女へと向けられる欲望とは並列ではありえず、ならばやはりその捩れや歪みは描かれるべきでしょう。郷里へ戻った後に二人の少女と出会ったところから狂気が加速するのかと思えば、別の方向へと主人公が転身するのはまあ別に構わないけれど、それでは登場人物の特性がいちいち希薄なことと相まって、この題材に相応しい心の深淵や闇といったものが徒に欠落することになるだけでは、と。

そうした意味で、酒鬼薔薇事件を題材とした桜井亜美「14 fourteen」は、ただひたすらに「終焉」に向けて物語が突き進むというその一点で読ませるものになっているし(宮崎事件を題材にした比留間久夫「100%ピュア」は・・・触れぬが吉ということで)、ともあれ本作の後半、主人公と二人の少女とのオーバーラップ、そしてグランド・フィナーレ、作者が描こうとしたものは、しかしその輪郭がぼやけているように思えます。

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